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「4時ですよーだ」の栄枯盛衰(!?)

番組の栄枯盛衰(!?)をいくつかの期間ごとに分けてみました。
潜伏期(1987年4月〜6月)
スタートしてから数ヶ月間は、番組自体があまり知られておらず、ダウンタウン以外のレギュラーとして若手だけでなくベテランの芸人さんが出演していました。
→西川のりお、中田ボタン、坂田利夫、月亭八方
 
急上昇期(1987年7月〜1988年3月)
1987年7月に大阪の「天神祭」の特番として、「天神祭ですよーだ」を放送。会場に水着姿の女の子たちが予想以上に集まったのです。
学生の夏休み期間も始まり、午後4時という中途半端な時間にもかかわらず、たくさんの人たちが番組に注目しはじめるようになりました。
 
安定期(1988年4月〜1989年3月)
ダウンタウンの人気が関西では社会現象とまで言われるほどに。
女子中高校生が学校を休んで「4時です」を見に来たり、2丁目劇場の周辺に集まってタレントさんが出てくるのを待ったりして、そういうことも含めて、”社会現象”という扱いになったようです。
 
下降期(1989年4月〜8月)
1989年4月からメイン司会がダウンタウンから今田耕司・東野幸治・石田靖の3人に。この3人は”3ばか大将”と呼ばれていました(笑)。
ダウンタウンは1時間のうちのワンコーナーしか出なくなり、しかも金曜日は出なくなってしまい、お客さんのノリがだんだん悪くなってきてました。
ただ、この時期DTが出ていたコーナーには、マニアックですが面白いのがあったんです。
→おばあちゃん5人に聞きました、ダウンタウンの旧友さんいらっしゃい!
 
「4時です」さよなら月間(1989年9月)
1989年9月「4時です」が9月いっぱいで終了することを、ダウンタウン本人たちの口から発表。
この頃、すでに東京での仕事が多くなってきていたこともあり、見ている方もなんとなく終了することを感じ取っていたように思います。
半年間、司会から遠のいていたダウンタウンが、司会に復帰し、昔やっていたコーナーを復活させたり、今までに番組に来てくれた素人さんを呼んだり、「4時です」よりもっと昔のことをふたりが思い出して喋ったりと、とても充実した内容になってました。最終回ではふたりとも大泣きでした。
「4時です」という一つの番組が終わる、というより、ダウンタウンが大阪から東京へ行き、ふたりでこれから戦っていかなければならなくなった、というのをこの1ヶ月間で現実として実感するようになって、ダウンタウンにとっても、見ている私たちにとっても、いろんな意味でせつない1ヶ月間だったと思います。


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